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文化伝統
Tradition
Culture・

伝統と新しい取り組みと

 人口規模の小さかった頃から脈々と受け継がれてきた昔ながらの伝統行事と、徐々に街に育っていく近年の歴史の中で、新たな取り組みがなされ、生まれ変わった行事、また新規に生まれた行事の数々が、区民方々と地元企業方々の協力のもと、年間を通じて行われています。

 例えば平成20年から祭事行事の際に行われている「獅子舞奉納」。「子ども達に、日本の伝統行事の一つである獅子舞を」と、有志が「獅子舞愛好会」を結成、遠方まで研修に赴き習得してきました。地元へ戻ってからも研鑽を積み、平成20年の10月「お日待ち祭典(秋祭り)」に、「獅子舞愛好会」初の獅子舞が披露されました。以降、定例の祭事行事の際には「獅子舞奉納」が華を添えています

 柳島区では「古き良き伝統を大切にし、新しい柔軟な試みも日々芽吹き」、新しい歴史と伝統が創られています。

柳島区の、進化と継承

温故知新​
learn new"
"visiting old,

 「新富士駅南地区土地区画整理事業(平成12年度~平成41年度※現在の事業認可は平成34年度まで)」が現在進行しており、新富士駅に隣接する柳島区も、新しい建物が建ち、新しい道路がひかれ、日々変化しています。

 柳島区そのものも、平成25年8月には「認可地縁団体」の認可を受け、法人格を持つ自治会となりました。また平成26年3月には区の中心である「柳島区公会堂」も新しくなりました。

 今後も日々変化し続けますが、一方「姿を変えずに残るもの」「改められつつ残るもの」も存在し続けています。柳島区はこれからも、進化と継承を両輪に、時代を歩んでいくことと思います。

お日待ち

 お日待ちは、元来、お正月・田植えが終わった5月(旧暦)・穫り入れが終わった9月(旧暦)年3回、地元の人々が集まり、夜通し会食や余興をしながら、眠らずに日の出を待ち、収穫や年中の無事に感謝しお日様を拝む神事行事です。

 かつては柳島でも、秋のお日待ちには皆が集まり夜通し祝宴を催しながら、日の出を待ってお日様に拝礼・神事を行っていたそうです。現在も続いている夜通し日の出を待つ行事は、大晦日から元旦にかけてのおこもりです。

お日待ちのお団子

 昔々は柳島浅間神社にも「御神田(神社の田んぼ)」があり奉納米を作っていました。御神田からの収穫は氏神様に奉納されます。そして、お日待ち前夜の夜中から明け方にかけ、お赤飯として焚き上げられ、村人皆に行き渡る程の、たくさんのおにぎりに姿を変えます。村の人達は皆、日の出を待つ時刻にお宮さまに参拝し、お日待ち神事を行い、帰りには参拝で受けた御神徳とともに「お赤飯のおにぎり」を手に、家に帰りました。「お赤飯のおにぎり」をもらうために参拝に来るのでも良い、それで、1年の内に少なくとも1回は村の皆が氏神様にお参りに来る … このための「お赤飯のおにぎり」でした。

 御神田も無くなり、近年では「お赤飯のおにぎり」を用意する手間も難しくなり、しばらく絶えていた習わしでしたが、これを「お団子(や、おまんじゅう)」に姿を変えて復活させたのが、お日待ち会場で女性部の皆さんが引換のお手間を下さっている「お団子(や、おまんじゅう)」です。

柳島浅間神社の幟(のぼり)

 現在、お祭の際に掲げられている(のぼり)は、高度経済成長期の恩恵を受けた後の「昭和51年」に創られたのぼりで、「神徳赫灼萬有得處」(氏神様の御神徳はキラキラまぶしく光輝き、その御神徳は全ての物に宿り、またそれら全ての物を頂戴しています。なので氏神様、どうぞここへお越しください)という意の幟です。

 一代前の幟も大事に保管されており、その幟は、戦後復興から特需景気へ向かおうとする「昭和25年」に創られた木綿製の幟です。「陽氣充満鼓腹撃攘」(活動する気概も物も満ち溢れて、おいしく充分に食べ、大地を踏んで拍子をとって歌い太平の世を楽しんでいます。氏神様、どうぞこの輪の中にお越しください)という意の幟です。収穫の感謝と、食が足りた喜びと祝いの気持ちがとても素朴です。

 昭和25年と昭和51年、それぞれの当時の時代背景や「何が喜びであったのか」が表われていて、時代の流れが感じられます。

 現在ののぼりは、100年はゆうに保つ丈夫な刺し子生地でできているそうなので、次代ののぼりがお目見えするのはまだまだ遠い先と思われますが、次代の文言はどのような文言になるのでしょうか?のぼりを創り替えるその将来、「衣食住も満ち足りて、平和な世でありますように」と心より願います。

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